これは先日感じたことです。
なぜ言葉を習得するときに
手話も一緒に習得できるようにしてしまわないのか、
ということです。

これを感じたきっかけは
友人から送られてきた1つのリンク。
聴覚障害を持ったお医者さん、
今川竜二医師に関してでした。

インフルエンザに加え、
コロナでみんなマスクになってしまい、
唇の動きを読むことが不可能になってしまった。
とにかく内診時にコミュニケーションをとるのが難しい。。。

と彼が言っているのを見たのが私の思い付きのはじまり、
「なぜ言葉を習うときに手話と一緒に習わないんだろう?」
です。

聴覚の能力低下が始まるのは30代、
歳をとれば難聴になるのは当然なこと。
だったらコミュニケーションが難しくなる前から
音だけに頼らないコミュニケーション、
つまり手話に慣れてしまえば良いのに。
私にはそう思えたんです。

「補聴器なんてつけない!」
とはいうものの、
テレビを大音量で見たり
「あ? 」「なに?」
と何度も大声て聞き返すような
うちの父のような老人には、
私はなりたくない(苦笑)
それに私はせっかちなので
コミュニケーションが
ちゃっちゃか進まないのは苦手です(苦笑)
こんなふうに考えてみたら
「手話のある生活って今よりも快適なんじゃない?」
と気付いたんです。

それに加えてもう1つの理由、
それは耳から入ってくる音声や活字を読む、
そこからのコミュニケーションが難しい、
と感じる人はたくさんいるからです。

絵のほうが理解しやすい人、
空間認知能力が高い人、
見た目からではわかりませんし、
程度は人によってさまざまですが、
たくさん存在するんです。

手話にも頼ることで
子供からお年寄りまで、
それこそ年齢に関係なく、
もっとたくさんの人の生活が円滑で深くなるはず。

ちなみに私は文字を追っていても
内容が全然頭に入ってこない派です(苦笑)
絵で見るほうが内容把握はずっと早いです。
図にしたり表にしてしまえば、
ぱっと見てすぐに分かるんですけどね。
だからもし学校で言語を習うときに
手話を同時に習っていたら、
学生時代の学習は
もっとラクだったのかも。

国語を習うときに手話も一緒に習い、
「言葉を話すのは手話も含めての意思表示である」
これが標準という世の中に早くなってほしいな❤